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健気(けなげ)に生きる

高田郁さんの小説の主人公は健気に生きていくところが魅力だ。
「八朔の雪-みをつくし料理帖」の澪は天涯孤独の身で、神田の小さな飯屋で働く。
さまざまな苦難も自分の才覚と彼女の健気さが周囲の人の心も動かし、助けとなって乗り越えていく。

「出世花」の縁は、女敵打ちの父とともに生地を離れ、行きだおれとなっていたところを火葬を司る、当時としては下級の寺の住職に救われる。
やがて大店の養女にと望まれながら、寺での死者を洗い清め、整える湯灌を生業とすることを選ぶ。

二人ともが謙虚で凛としており、つまらない慾に自分を汚したりしない。
自分が何をしたいか、すべきかがはっきりしている。

人間は迷うものだし、悩むものだ。
道を見失い、光を求めて、あがくものだ。
自分を責めて、他人を責めて、苦しむものだ。
だから、高田郁さんの小説を読むとほっとする。

健気に生きる。


いったん苦悩の網は抜けたと思っても、また捕らわれることもある。
苦しんだだけ、実りが多いことを願っている。


ジョーさん、本当にありがとうございました。
今でもジョーさんと戸田くんの左サイドはわたしの中で輝いている。

吉本クン、試合の中でしか得られないものがあるから、苦労して強くなって成長してください。


また会いましょう。
by inadafctokyo | 2009-08-26 13:56 | FC東京

荻窪駅南口の古書店にて

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荻窪の古書店に暇つぶしに立ち寄り、安藤始著「大江健三郎の文学」を発見して購入する。
良い古書店で、暇つぶし以上の収穫だった。
哲学、思想に見る目があるようだ。映画、絵画にも面白いものがある。
私だったらどのような本を並べるだろうかとゾクゾクしながら、背表紙を見る。
久しぶりに新刊書店よりも楽しい古書店を見た。
シモーヌ・ヴェイユの評伝は持ち合わせが足らず、諦めた。次に寄る時にあるだろうか。
by inadafctokyo | 2007-10-11 21:23 | 大江健三郎

コミック3点-第1夜

c0068891_225710.jpg大江健三郎さんの「読む人間」を池袋のジュンク堂に買いに行ったときに、ひらめきで”ついで買い”したのが「カボチャの冒険」
まあ、猫好きは猫の絵さえ見つければ他愛なく手にとってしまうものだが。
五十嵐大介さんという人の作品。五十嵐さんの実生活に沿っているようだ。
東北の農村で田畑を耕し、漫画を描き、カボチャという猫と暮らす日常をのびのびと描いた。
ねこの表情が秀逸。姿かたちがたたずまいが猫そのもの。猫を描いてネコそのものになっている。
当たり前のようだが、そうではない。ためしに描いてご覧。むずかしいぞぉー。
しなやかでいて強靭、滑らかな手触りと頭のこつこつした固さ。耳も目も鼻も口も四肢もそして尻尾も、この世にこれほど完璧な生き物はいない。

カボチャの行動に、猫を飼ったことのある人ならいちいち頷くに違いない。
そしてまた五十嵐さんの振り回されぶりにもいちいち納得がいくであろう。
ヒトはネコには適わないのである。

不味いものを食べたときの猫の顔が、実によく描けているから見なさい。
by inadafctokyo | 2007-09-26 22:24 |

全身運動としての読書

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「読む人間 大江健三郎 読書講義」
“ 本を再読する、読み直すことは、全身運動になる。”大江さんがこの講義で掲げた標語だ。標語としては出来がいいとは言えないが、大江さんが長年続けてきた読書の流儀であり、その作品にも影響が色濃く現れている。
ひとつの作品を何度も読み直す、方向を定めて探求する。最初に読んだ時はただ闇雲に森を歩くようだったものが、2度目、3度目には樹木の一つ一つが目に入り、風に起こる葉擦れの音、鳥の声に気付く。そのような読書を私が知らず知らず習慣にしたのは、大江さんの影響だろうか。

翻訳の本の場合を例にとって大江さんは全身運動としての読書を案内している。
翻訳の本を読んで、本当にいいと思うところ、またよくわからないところがあったら、原書にあたる。辞書を辛抱強く引きながら。そうして一冊の本と一人の作家と向き合う。
そのような大人向けの読書に相応しいものとして、エドワード・サイードの著書をあげているが、私にはとても歯が立たないことは明白だ。このレベルの英語が無理だ。

うんと若い人のために「トムは真夜中の庭で」という少年少女小説を薦めている。これなら読んだことがあるし、英語の文章を見ただけでイヤになることもないのではないか。
何より、今の私にはそうした読書での全身運動が必要とされている。ある種の危機を乗り越えるために。

それにしても荻窪のドトールはタバコの匂いが充満している。入り口そばの禁煙席に何の意味もない。
by inadafctokyo | 2007-09-13 20:58 | 大江健三郎

エイジーニョに会ってきた

c0068891_13515914.jpg昨日の午後7時30分から明大前LIVREにて、吉崎エイジーニョさんのトーク・ショーがあると聞いて出かけた。
『Number』に連載していた「突撃!!エイジーニョ」の話は聞いたことがあるが、詳しくは知らなかった。
マスターのぞのさんのお誘いがテンション高くて思わず乗せられてしまったのいうのが本当のところ。

実際にエウジーニョさんのお話を聞いて納得した。誰でもこんなことができるわけではない。でも誰でもやろうと思えばできる。
あなたもサッカーで海外組になれる。

ドイツ10部リーグでプレイするとはどういうことか。日本にいてはなかなかイメージすることは難しい。
練習場は自治体が所有しており、クラブハウスはクラブが建てる。中には練習場も建物も公共の施設を利用するクラブもある。
クラブの選手はクラブに所属する会員で、子供の頃からプレイしている選手も多い。エイジーニョさんは練習参加して入団が許可されると会費を納めて会員となった。だから移籍金はマイナス3万円。練習は週1,2回。試合は週1回、ないし2回。
エウジーニョさんが拠点にしたケルンには約60ものクラブがある。60ですよ。人口100万というと仙台市くらいか。川崎市よりちょっと少ないか。
仙台や川崎に60のクラブがあって、年齢も人種も様々な人間が仕事を持ちながら、クラブチームの選手として生活している。
本当にヨーロッパにはサッカーが根付いていると言うが、こういうことなんだと今更ながら感心させられた。

そして1部でも10部でもサッカー選手として経験すること、ぶつかる壁は同じだ。
言葉の問題、自分をアピールすること、監督やチームメイトとの関係、怪我。
マインツでプレイするチャ・ドゥリと話をする機会があったが、1部と10部の垣根を超えて”ドイツでプレイをするということ”で盛り上がったという。
アジア人である二人にとって、何より理不尽を感じたのは人間関係で上下の感覚がないということだった。
ユースの選手と練習試合をしても遠慮なく削ってくる。オレは週末の試合に生活がかかっているのに!
自己主張の国ドイツでアジア人プレイヤー二人は管を巻くのであった。

c0068891_13535659.jpgNumber に掲載された「突撃!!エイジーニョ」に加筆修正を加えて<オレもサッカー「海外組」になるんだ!!>が出版された。

こんな生き方は誰にでもできることではないが、明日からでもあなたにもできる。
外国籍プレイヤーとしてどうすべきかはここに書いてある。それ以外の困難があったら、あなたが克服したその体験を今度は話してくれないか。いつかどこかで。


追記:エイジーニョさんは最終試合で1ゴールを上げた。ワシントンでもヨーロッパでは得点していない。
by inadafctokyo | 2007-06-09 13:48 | サッカー

王ジャパン、野球世界一への道

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わたしがこの本を読んでいると83歳になる母親が読み終わったら貸して欲しいと言うので驚いた。野球に興味のある人ではない。わたしの影響でサッカーには多少の知識はあるものの、実際にテレビでゲームを見るのはワールドカップくらい。その母が実はWBCを見ていたと知った。
「イチローさんは偉い」
そうかイチローか。この本の中にもイチローがいかに爺殺しであるかのエピソードがあるが、婆殺しでもあったのだ。
日本対韓国の準決勝の視聴率は瞬間で50%を超えた。その中にはほとんど野球を見たことのない母のような人たちが多くいたに違いない。国と国との戦いにはそのひとつのスポーツの枠を超えて人を惹きつけるものがある。やっぱりやってみて良かったじゃないか。

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by inadafctokyo | 2007-06-02 11:01 |

敗因と

実を言うとドイツワールドカップの惨敗から立ち直れないでいる私がいる。
だからその後の代表にも気持ちが入っていかない。何か他人事になってしまっている。
行けなかったアメリカ、そしてフランスから日韓、ドイツへと続いていた道が突然絶たれてしまったような感じだ。

失望・・・。正直に言うと、もう中村も高原もいいと思ってしまう。いくら活躍しても私の中ではもう終わっている。
あの時負けることしかできなかった選手たちを、猫が気に入らないご飯を埋めてしまうように、せっせと砂をかけて見えなくしてしまいたい。
だから、この「敗因と」という本を読むことにした。金子達仁、戸塚啓、木崎伸也などによって書かれたこの本にわたしは“ドイツワールドカップ-わたしたちはいかにして敗れたか”というタイトルをつけよう。
「敗因と」の“と”があったために手に取ることにしたこの本にわたしが期待するのは、誰が悪いとか何がいけなかったとかいうことではない。読み終わったときにあの敗北をきちんと受け止めることができる自分がいればいい。

あの時、倒れたまま起き上がれない中田英寿にアドリアーノはなんと声をかけたのか。
「元気を出さなきゃ駄目だよ。また元気を出してやればいいじゃないか」「人生なんてそういうものさ、大変な日もあるのが人生だよ」
by inadafctokyo | 2007-01-15 16:38 | サッカー

about a boy

c0068891_2259163.jpg38歳の悠々自適お気楽独身男のウィル、風変わりな少年マーカス、その母親で元ヒッピーで菜食主義で情緒不安なフィオナ。彼らを取り巻く人々。
何にも深く関わらずクールに漂っていたかったウィルはいつの間にかマーカスによってさまざまな人間に関わりを持ち、マーカス親子に抜き差しならぬほどつながりをもっていく。

くすくす笑いながら、ほのぼのしんみりする小説。
個人的には風変わりな母には風変わりな子という設定にどっきり。

精神的に不安定なフィオナのことをウィルがレイチェル(こっちがウィルにとっての本命)に相談する場面でレイチェルはこう言う。

「何年か前だけど、わたし、ほんとにほんとに落ち込んで、その・・・・わかるでしょ、フィオナがやろうとしてるってあなたが想像しているようなこと・・・・そういうことを考えていたんだ。でもアリ(レイチェルの息子)がいたから、そんなこと、考えるだけで罪の意識にさいなまれてた。そんなこと考えちゃいけないって思ってた。でも・・・とにかくいつだって、今日はダメ、って感じだったの。明日はわからないけど、今日はやっちゃダメ。」
「人生は最高じゃなかったし、進んでそこに参加したいって感じじゃなかったけどね、いつだって必ずひとつかふたつ、やり残したことがあるって気分だった。」
「ささいなこと。でもいつだって何かがあった。いつだって何かがあって、それだけで充分なんだって」

”ささいなこと”と言うのは学校の保護者会があるとか、あの映画が見たいとか、好きな作家の新刊が出るとか、もうすぐ洋ナシが追熟して美味しくなるとか、そういう些細なこと。
そういうことでもあれば、それで充分。わたしたちは今日は生きていける。

ウィルが軽薄な生き方のルールを逸脱していくのは、マーカスの磁力によってだ。マーカスは風変わりではあるけれど、愛がなにかわかっている。それだけ不安な思いで生きてきたということ。

ヒュー・グラントが主演した映画もとても良いのでおすすめ。
by inadafctokyo | 2006-10-10 23:29

ハリー・ポッターと謎のプリンス

c0068891_2223771.jpgハリ・ーポッター第6作(上下)
アマゾンで予約していたので、ブック・カバーと手提げ袋がおまけに付いてきた。
帯にマジック・ショーの応募券も付いているが、この締め切りがなんと5月18日!
17日発売で18日消印有効って・・・・。
なまじアマゾンに予約していたために、受け取ったのは19日。
静山社の商売もなかなかえぐい。
c0068891_2225184.jpgさて、期待を裏切らない面白さだが、ハリーはまたもや大切な人を失う。
謎のプリンス(原題では混血或いは半純血)とは一体誰か。
驚きの事実ではあるが、これまでの経緯から言って頷ける展開でもある。

親子孫3代に渡って楽しめるハリーポッター、いよいよ残るはあと1作となった。
by inadafctokyo | 2006-05-21 22:15