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TBS『シリーズ激動の昭和 3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実』

63年前の3月10日、たった一晩(実質2時間半)で10万人もが焼け死んだ東京大空襲。
広島、長崎、沖縄の戦禍に比べてあまり取り上げられることもなく、都の慰霊堂も関東大震災被災者と合同のものである。被災者に対する国による補償もない。

戦時においては日本国の情報統制によって、戦後はGHQの圧力によって明らかにされて来なかった東京大空襲の実態については細々と草の根の体験談として伝えられてきた。
海老名香葉子さんの体験談、高木敏子さんの自伝的な小説「ガラスのうさぎ」などもその一部だ。

この番組においても、空襲を生き残った人たちがあの夜を証言している。多くは10代で、生きながら人が焼かれていく場面を目撃し、爆弾の雨と劫火の中を逃げ惑い、親兄弟、我が子、友人を喪った経験はどんなに時が経っても癒されない。63年経った今でもそれを語るのは辛すぎる行為だ。
ドラマでは大空襲の惨状を写真に撮った警視庁警察官の石川光陽の視点で空襲前後を描くとともに、アメリカでの取材によって、東京大空襲がいかに準備され、実行されたかを明らかにする。
畳や家具まで揃えた精巧な日本家屋を実験場に建設し、いかにして効率的に破壊できるかを実験した。そこで試された焼夷弾は石油をゼリー状にしたもので、開発した企業にとっては無差別絨毯爆撃は巨額な富を生み出す魅力的な作戦だったに違いない。

また、関東大震災で被害を被った地域と重なるのは偶然ではない。日本を研究した米軍が火災に弱い地域と特定して下町を爆撃対象に決定した。
東京大空襲を皮切に日本各地を焦土化する作戦が進行、ついには広島・長崎への原水爆投下の日を迎える。
原水爆はそれ以後人類には使用されていないが、東京を焼き尽くしたクラスター型(親弾の中からたくさんの子弾が散布される)爆弾はそれ以後もベトナム、レバノン、ヒズボラなどで使われている例はきりが無い。
非人道的であるとして、使用禁止に向けた国際的な動きがある中で、日本、アメリカ、イスラエルは保持し続けている。おそらくロシア、中国も同様であろう。

戦争体験世代であっても、同じ日本人であっても痛みがわからないこともある。私の母も縁故疎開で東京を逃げ出し、親類縁者にも被災者がいないこともあって、目をそむけているようなところがある。被害地域が特定されていること、被害者は多くが亡くなってしまい、生き残ったものも深く傷ついて積極的には語りたがらない。このような事情もあって、日の当たらない存在になっている。

1996年から99年にわたって東京都の委嘱で撮影された被災者の証言映像330人分が死蔵されて、公開されていないという事実もある。
今のところ、東京大空襲の資料をまとまって展示しているのは民間が運営している東京大空襲・戦災資料センターがあるのみだ。

日本では空襲被災者の補償は実現していないが、同様に英米軍の空襲によって多くの犠牲者が出たドイツでは、空襲被災者にも補償制度がある。

GHQの提出命令を撥ね付け、命がけで撮影したネガを後世に伝えるために守り通した石川光陽の願いを汲むなら、今63年経っても日米の国家の責任を問うのは決して遅すぎでも意味の無いことでもないと言えよう。

*一連の日本各地の空襲を直接指揮したルメイ少将には後に天皇と日本政府から勲一等旭日大綬章が贈られたというのは有名な話である。
by inadafctokyo | 2008-03-11 23:37


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