魂とはどういうものか?
「人格の奥にあるもの、人格が肉体的、精神的に傷つけられても、壊れないもの、それが魂」*
わたしはこの答えを見つけてとても勇気付けられたのです。
人格とは「個人のもつ一貫した行動傾向・心理的特性。」「倫理的・道徳的行為において、自由意志のもとに権利・義務・責任を担う主体。」(三省堂 大辞林)
わたしたちが「人格」と言うとき、「性格」よりも幅広い、深い意味で使っているのではないでしょうか。そして「人格」は疑われたり、傷つけられたりもします。
わたしの人格はもともと備わっているものが教育や環境、経験によって鍛えられ或いは歪められ或いは膨らみを増して形作られたものです。
その人格形成にここ2年ほどのFC東京の状況がどの程度反映されているのかは、明らかではありませんが、忍耐強くなっているのではないかと思います。こどもを育てていく過程でも感じた「思い通りにならない」という感情に負けないこと。逆境の中でもできるだけのことはすること。(大げさだなぁ、相変わらず)
それでも最近のように不甲斐ない試合が続いたりすると、悲嘆の感情を持て余し、誇りが砂のように零れ落ちていくような気力の萎え方を覚えます。
そこで冒頭の言葉に戻るのですが、それでも魂は傷つかない、壊れない。
大丈夫、魂は強いものなのです。
わたしたちは試合を通じて選手の魂を感じることもあるし、わたしたちを通じて選手が魂を感じることもあるでしょう。
魂のスタジアムへ
*大江健三郎「言い難き嘆きもて」の中の“壊れがたく強きもの”より