病める人 痛む人

21日の夜に小さな、けれど1人の才能に恵まれた音楽家とその人を愛する人々にとって、そして同じ病に苦しむ人々にとっても大きな意味を持つコンサートがありました。
私が勝手に友人と思っている尊敬するピアニストの松下ベックマン佳代子さんの「ローマ法王御前演奏記念」と銘打った報告会&コンサートです。
松下さんの演奏の前にローマ法王御前演奏時のビデオ上映(抜粋)と演奏会後にバチカンから届いた手紙が紹介され、脳神経外科の高木清先生のお話がありました。

(長いので畳みます)



松下さんはヨーロッパで高い評価を受けているドイツ在住のコンサートピアニストですが、95年の暮れ、ご主人と二人の演奏旅行からの帰路、ベルギーの高速道路で大きな事故に遭いました。
命を落としても不思議では無かったところを大した怪我もなく運が良かったと思ったのですが、8年後にその激しい後遺症が現れました。

脳脊髄液減少(漏出)症は今でこそ人の口に上るようになりましたが、ドイツでは当時、病名も知られず治療法も無く、精神疾患と診断されたりまったく無駄な治療を行ったりして時間を浪費しました。そんななか教え子が送ってくれた新聞記事がきっかけで高木医師を知り、日本での治療を決意しました。それが2005年頃のことで、私が松下さんを知ったのもその頃のことです。
日本とドイツを往復しながら高木医師の手術と治療を受け、徐々に回復し、またピアノが弾けるかもしれないと希望を持つようになりました。

高木医師のお話で脳脊髄液減少(漏出)症に効果ありとされたブラッドパッチも逆効果、或いは効果が薄い場合があると知りました。高木医師の治療は「空気と水」を脊髄に注入することによって、症状を軽減します。専門的なことはうまく説明出来ませんが、松下さんはひどい耳鳴りが1回の治療で治ったと言います。

高木医師の元には同じ症状で苦しむ患者さんが多く訪れ、治療を受けています。その中に若い音楽家もいて、この日松下さんはその人が作曲した曲も演奏しました。
松下さんがなぜこの曲を選択したのか、日本初演というその曲がホールの空間を満たしてすぐに納得がいきました。
厳しい冬の寒さの中でこそ感じる僅かな陽の光の暖かさ。その光の中にやがて来る春への希望が感じられるのです。
私はピアノの音に包まれながら涙が止まりませんでした。
激しい痛み、耳鳴り、痺れ、めまい、歩くこともままならない、そんな中でも演奏を続けた松下さんですが、やがてご主人のチェリスト、トーマス・ベックマンから、聴衆にはわからないけれど・・・と演奏について指摘され、それ以後松下さんは演奏活動を止めることになります。松下さんがどれほど音楽を愛し、打ち込んできたか、演奏を聞けば伝わります。松下さんの落胆、焦燥、絶望を思うとき、余計にその曲に込めた思いが大きく大きく迫ってきました。

松下さんの日本での日常を支えた高校時代からのご友人中村さんと石井さんからのお話を挟んでの、松下さんの演奏はアンコールを含めて次の5曲。

子供の情景 op.15 ロベルト・シューマン作曲
もともとシューマンが好きでドイツに留学し、今はシューマンの家に暮らす松下さんは「シューマンは夢と現実の際で、きわどく生きた人」と言います。確かに!

バラード1番 op.23 フレデリック・ショパン作曲
ご友人からのリクエストだったそうです。松下さんはショパンの曾孫弟子に当たります。

山水図 助川敏弥作曲
「目だけなく山水図を感じて下さい」と松下さんは話されました。
コンサートの最後に弾くことが多く、ヨーロッパでも大変人気の高い曲だったそうです。
ドイツ国立音大受験に際して、現代曲の課題のために助川さんが松下さんに授けてくださった曲で、自国の作曲家の曲を選択したのはとても良いことと評価されたそうです。

子守唄 高田三郎作曲
素朴な哀愁のある子守唄が洗練された音楽として現れます。

病気を感じさせない見事な演奏でした。神から授かった才能とはこういうことを言うのだと私は圧倒され、震えました。
アンコールには助川敏弥さんの「小さき命のために」これは東日本大震災で多くの命が奪われたことを悼んで書かれた曲です。

ヨーロッパとは違う聴衆の反応に松下さんは驚かれ、楽しまれたようです。

9年もの間、演奏から離れていた松下さんが治療の甲斐もあって、今年の8月11日にローマ法王の招きで夏のお城でご主人とともに演奏をすることになりました。
その時のバチカンラジオのインタビューに答えて、

「9年ぶりの復帰のステージが御前演奏であること、その何も出来なかった9年の間に失ったものはほとんど無かったのには、多分わたしが一番驚いている。・・今、病める人、痛みのなかにいる人、どうか焦らないで、そのなかでゆっくりしていい。」

事故の起きた年、95年からご夫婦は「ともに寒さに向かって」というホームレス救援活動を呼びかけ、精力的に活動を続けられています。東西統一後増えたホームレスが冬の朝冷たくなって発見されたという記事に心を痛め、キリスト教団体、自治体に働きかけ、動かしました。
インタビューではこのようにも語っています。

「今日は11日だ。日本のみんながあの震災を思い出している。日本は豊かな国のように見えるが、被災地復興は自国の力だけでは成し得ない。世界の助けが必要だ。今、日本では脱原発にむけて市民運動が起きている。」

この先も治療は続き、気圧の変化によって辛い症状が現れ、演奏の翌日は恐らく起き上がることも出来ないのではないかと思われる松下さんですが、これからも笑顔で力強く私たちに贈り物を届けてくれるでしょう。
新宿文化センター小ホールにて(ピアノはハンブルグのスタインウェイ)
11月の11日には四ツ谷区民ホールでアンコール公演が行われます。そこでのピアノはウィーンのベーゼンドルファーだそうです。
Kayokoの演奏の知らせにドイツから飛んで行きたいと願うファンのために、ネットでの配信も行われた模様ですが、日本にいる私たちは幸運です。ぜひお運びください。

お申し込みの際は、お手数ですが「アンコール公演、四谷」と明記して masami.online@gmail.com までお願いいたします。
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by inadafctokyo | 2012-10-25 17:50


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