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水色の少女まんが館で

五日市線の武蔵増子に降り立ったのは初めてだった。駅前の通りを下ってしばらく歩き、橋の手前で右に曲がり、水嵩の増した秋川渓谷にかかった古い橋を渡り、木々で薄暗くなった坂道を登り続けると汗がじんわりと全身を包む。登り切る手前で右に折れ、道なりに進むと小さな畑になる。その隣に水色の建物がある。昔の学校か郵便局のような建物だ。
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玄関の前の小さなテントでは小学生の娘さんが遊んでいた。
古色蒼然といった風を装う少女まんが館であるが、実は3年前に建ったばかり。1997年に日の出町で産声をあげたまんが館はこの地に新しい居を構えた。
建築家のアイディアで建ててから塗るのではなく、部材のうちに塗ってしまった。だから塗る人それぞれによって色が微妙に異なり、それがかえって年月を経たような美しさを感じさせる。
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天井を撮ってみたら、館長さん1(もしかしたら2かもしれない)が写っていた。

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内部はこんな様子だ。古本屋さんの匂い。
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まだまだ整理しきれない本があるらしい。
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窓辺で階段の踊場で屋根裏で物干し場で、自分の部屋というものを持たなかった少女はどこにでも座り込んで、本を手に何時間でも過ごしただろう。

(*長いのでたたみます)



日本の少女まんがは独自の進化を遂げ、今や研究対象としてもその地位を確立したかに見える。しかし、週刊誌、月刊誌はもちろんのこと単行本であっても、あっさり処分されることが多い。
読み捨てられる運命にある少女まんがを救わなければ!と決意した方々によって立ち上がったのが少女まんが館だ。詳しくはホームページを参照してほしい。

ここでこの日は小さなお茶会が催された。萩尾望都さんの愛読者が「ポーの一族」をテーマに集い語り合った。
余計なものが何一つない場所で、皆を待つ間思っていた。ここはどのような時代であれ、自分の育ってきた日々を思い出せる場所だ。


この日は館主を含めて10人がまんが館2階のスペースに集まった。ポーの一族に因んで館主の一人大井さんがいれてくれたローズティーは香り高く、美味しい今までに味わったことのないお茶だった。

私が萩尾望都をきちんと読んだのは、まだ学生だったが既に少女とは言えない年齢だった。
子供の頃は少年まんが雑誌や貸本屋で雑多に漫画を読んでいたが、中学生、高校生になるとそれまで以上に活字の方に夢中になり、それほど熱心に漫画を追いかけたわけではなかった。
団塊の世代の人である叔母の家に度々行くうちに、その本棚に並ぶ少女まんがを手に取るようになった。そこに山岸凉子や萩尾望都という名前を見つけ、その内容の深さに徐々に心を奪われるようになり、特に萩尾望都さんの新作が出るたびに買い求めるようになった。

萩尾望都さんの描くテーマはバンパイヤ、SF、寄宿舎の少年たち、バレエと私の興味関心に合うところがあり、またそのテーマのこなれ方が人並みはずれていた。好きなことに関しては妥協したくない私は、これは違うと思ったら受け入れられないところがある。例えば有名なバレエまんがであっても、その肝心のバレエのポーズが本物ではないと感じてしまったら、もういけない・・・。
萩尾さんの白鳥や眠りは正しくポーズが描けていた。それが私にとっては重要なのだった。
何をテーマにしても完成度、信ぴょう性が非常に高かった。しかも彼女は20代からその完成度の高さを自分に課し、今に至るまで第一線で仕事をしている。
つい最近も福島第一原発の事故を扱った連作「なのはな」を発表し、現役である凄さを見せてくれた。

デビューしてまもなく小学校低学年の読者に向けて描くことに限界を覚え、講談社から小学館に発表の場を移し、自分が良いと思うものだけを描くことにした。
この日集まった読者の中では私がおそらく最年長であったが、少女コミック誌で作品を読んでいた人もいた。小学生には理解しにくいと思われる内容でも、この世界は何か壮大で凄いと感じて読み耽った。周囲の友人に思いを告げても、理解を得られなかったという体験は、大江健三郎ファンが日常よく味わう切なさである。

大人でもないこどもとも言えない、美しいものは見たい、しかし世の中の仕組みにも知らぬ顔は出来ない。そんなあの頃の自分を捕らえた世界は今も色褪せること無く、途絶えずに私の日常に影響を与え続ける。


「ポーの一族」はある偶然からバンパイヤとなり、永遠の命を生きなければならなくなったエドガーが養父、養母、最愛の妹を失い、一族の血を分け与えたアランとともに時代と国境を超えて、旅をする物語である。
もう守るべき妹もいないエドガーは一体何のためにどこへ行くのだろう。
ロンドン、ドイツ、アメリカ・・・ポーの村への入り口を探すために?ポーの村へ帰ったとして、何をするのだろう。一族の血を呪っているはずなのに、自分たちを追い詰めようとするものには容赦ない報復を企てる冷酷な一面を見せるかと思えば、両親を失った幼女や寂しい少年に手を差し伸べる。
エドガーの孤独、救いのない結末はバンパイヤであるという設定と萩尾望都の絵でなければ耐えられない重さがある。

彼らの長い旅の途中にすれ違う人間は、なぜ彼らに惹かれるのか。日記に残し、記憶に刻みつけ、なぜ追いかけるのか。
参加者のお一人が学生の頃に研究課題として、登場人物と時代と出来事を整理してくれた図がある。エドガーとアランがどの時代にどこの国で誰と出会ったか。その図の中にいつの間にか私たちもいたのだと思う。

オービンという登場人物がいる。超常現象に惹かれ長髪に口髭の彼は、堅実に地に足のついた暮らしを、愛する女性とともに築くチャンスを捨て去り、エドガーを追い続ける。まぼろしか現か、長い時を超えて生き続けながら儚さを感じさせる彼らに、オービンとともに私たちは惹かれ続ける。

幾つかの疑問を残しながら終わってしまったポーの物語が、やがてまた息を吹き返すことを密かに願いながら、香り高いお茶を飲むのだ。


以前に自宅で萩尾望都オフを開催したことがある。また、集まりをしたくなった。
by inadafctokyo | 2012-07-19 16:04 |


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