セレッソ戦の4点目が入った辺りに閃いたものがあった。
村野四郎の詩に何か今の気持ちにフィットする一篇があったような気がした。
今朝になって中央線の車中で、それはよくある遅れを知らせるアナウンスを聞きながら、鮮やかな映像とともに浮かび上がってきた。
顎を むざんに引っかけられ
逆さに吊りさげられた
うすい膜の中の
くったりした死
これは いかなるもののなれの果だ
「さんたんたる鮟鱇」と名付けられたこの詩には “へんな運命が私をみつめている リルケ” という副題が付いている。
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吊り下げられた鮟鱇には幾つもの手が伸び、切り刻まれ、鮟鱇自体の実在は希薄になっていく。
最終節京都戦でどのような運命がわたしたちを見つめるのか。