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U-15深川決勝進出!

せっかくあおあかどとねとさんが作ってくれたフラッシュがセキュリティの問題とかで貼れません。残念。

やったね!深川。準決勝は4-4、延長戦でも決着つかずPK戦で7-6、決勝進出を決めました。
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by inadafctokyo | 2005-12-27 15:09 | FC東京

高円宮杯U-15

ああ、もうサッカーの試合はないしつまんないなー。天皇杯はあるわけだけれど、東京の出ない試合は見る気がしないのよね。と思っていたら、カスーラ(U-15深川)がまだ頑張ってくれていた。

高円宮杯第17回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会
日本サッカー界の将来を担うユース(15歳以下)の少年達の サッカー技術の向上と、健全な心身の育成を図ることを目的とし、第3種年代の加盟チーム全てが参加できる大会ですよ。

これまでの経過
FC東京 4 - 1 ルーテル学院中学校
FC東京 3 - 1 アビスパ福岡
本日準決勝
FC東京 対 サンフレッチェ広島 西が丘にて 11:00 キックオフ

決勝はなんと29日国立。そう天皇杯の埼玉同士の決勝が行われる日に11:30キックオフ。
日本サッカー協会の考えていることはたくさんのお客さんの前で国立で試合をさせてやろうということなのでしょう。でも天皇杯は見たくないけど、U-15の決勝は見たいという人には全く迷惑な話。第一赤いサポでいっぱいで、東京の子たちには大変なアウェーになるわけで。(今日勝ってから心配しましょうか)

もうひとつの準決勝は狭山FC対浦和レッズ。
なんとか狭山FCにがんばってもらいましょう。この狭山は埼玉の狭山ではなくて、多分大阪の狭山FCですね。40年以上の歴史を持つ、小学生から成人、女子のチームもあるクラブです。

がんばれFC東京。仕事で行けないよー。頼んだ!
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by inadafctokyo | 2005-12-27 10:44 | FC東京

万次郎かぼちゃ

c0068891_10352643.jpg先週お届けの「とくたろうさん」は万次郎かぼちゃでした。
皮の模様がちょっとキュウリのようなきれいなかぼちゃです。
とくたろうさんでかぼちゃというと例のあれを思い出しますね。あはは。
「骨董品のような」と表現した人がいますが、まさしくあれは骨董品のような風格を漂わせていました。

今回の万次郎かぼちゃは終戦時に中国から持ち込まれたものと言われます。
1株から100個の実を収穫したという逸話もあるほど生命力豊かな万次郎かぼちゃは冬至の頃にぴったりですね。

何にして食べようかな。
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by inadafctokyo | 2005-12-26 10:35 | 大地を守る会

ヒール・アイドル

c0068891_12314929.jpg楽天の悪役アイドルとして名高い「カラスコ」
わたし、全く知りませんでした。”契約更改交渉決裂で帰国、来期はヤクルトか?”ていうようなスポーツ新聞発信のニュースを見て、初めて認識したわけです。
こんな面白い奴がいたのか。
スタジアムでバイク乗り回したり、仙台の町でごみ拾いして美化運動に協力したり、プロレスにまで出ているらしい。
ヤクルトに移籍して東京の街を舞台にするより、地方の名物になっていた方がいいような気がする。

FC東京にもこういうヒールな奴ならマスコットがいてもいいぞ。
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by inadafctokyo | 2005-12-22 12:45 | FC東京

野菜はおいしい

c0068891_16332060.gif先週の「とくたろうさん」で来ていた赤ひげ葱。これがおいしかったのです。
普通白いところが赤紫の葱です。
鍋にしました。
鳥鍋。だしは昆布、鶏がら、鰹節で取って、味付けは塩、胡椒、酒。
鶏肉、水菜、舞茸、白滝、そしてこれでもかってほどの赤ひげ葱。
旨かったですー。寒い日は鍋が一番ね。
しょっちゅうテーブルに卓上コンロが出ています。
ずーっと出しておきたいのに家族が邪魔って言います。
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by inadafctokyo | 2005-12-21 16:40 | 大地を守る会

ルーカス・・・

トヨタカップで優勝したのはサンパウロFCだった。有利と見られたリバプールFCを相手にブラジルの底力を見せてくれた。
サンパウロがトヨタカップ出場の権利を賭けて、リベルタドーレス杯決勝戦で戦った相手がアトレチコ・パラナエンセ。
パラナエンセは初の決勝進出を果たしたが、チームの躍進にもっとも貢献したと言われるのがボランチのチアゴ・コシート。
そのコシートが仲のいい選手を尋ねられて、親友だと名前をあげたのはFC東京のルーカス。
アトレチコとコリンチャンスで一緒にプレイしたことがあり、お互いの結婚式の仲人(と訳しているが、多分付添い人のこと?)を務めたほどだ。
リベルタドーレスの決勝で勝てば、日本に行くことができると楽しみにしていた。(インタビューは7月)
でも結局、パラナエンセは日本に来る事はなく、ルーカスはトヨタカップの前に日本を離れた。

こんな風に、思いがけないところで消息を知り、そのたびに複雑な思いを味わうのだ。きっと、これからは。

インタビューはSOCCER PLANETのPLANETPRESS
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by inadafctokyo | 2005-12-20 16:53 | FC東京

原監督を送るファンの集い

天気はいいけど、風は冷たかった味の素スタジアム。
原さんはずっとスーツで通しましたが、寒かったのではないでしょうか。

入場の際に「原監督から選手へのメッセージ」(A2大)が配られた。(開始ぎりぎりの人にはなかったそうだ。)
ひとりひとりの選手への目配り・気配りが行き届いたことばの数々。
本当に暖かくて大らかな人だなぁと。

愛媛の時とは違って、さすがに大人でプロの原さんは切り替えていました。
わたしの方は大人げない素人で、もやもやしていました。

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by inadafctokyo | 2005-12-19 00:01 | FC東京

さよならって言わない

明日は(もう今日の昼だけど)味の素スタジアムで原監督とお別れ会だ。
ガンバの優勝祝賀会は万博で、未成年でもなんでも入場すると缶ビールを配って、びびらせたそうだ。いいなあ。

愛媛の試合後のあの映像を見たら、たまらん。
もう、あれでいいって気もするが、せっかく機会を作ってくれたのだから、ありがとう。
でも、味の素スタジアムってどうかな。
ヒロミはいつも試合後に挨拶に来るあのあたりでしょ。
わたしたちは勿論スタンド。うーん、なんだかな。

キッズフェスティバルを開催するアミノ・バイタル。あそこを利用してですね、みんなでサッカー大会。キッズの時見ていると、本当に楽しそうなの。うちの子は原さんと同じチームになったのだけど、楽しそうだったよー。こどもも原さんも。

そうでもしないと、ただただ泣けそうで、困るんだ。

さよならなんて言わないよ。

原さんはナオに「また呼んでやるぞ。」って言ったそうだ。
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by inadafctokyo | 2005-12-17 00:38 | FC東京

わたしたちのFW

わたしたちにはアマラオがいた。

他にはもう書くべきことは何もないような気がしてしまう。

喪失感は深かったが、阿部吉郎が11番を継ぐことで救われた。外国人フォワードが11番を付けていたら、戸惑いはしばらく解消されなかったろう。
東京のFWとしてルーカスはとても良いと思う。案外器用でないところも献身的なところも何より笑顔が性格が、東京に必要だと思われた。
笑顔でいられるのは強い人だからだ。
でも、もう過去のことになってしまったようだ・・・。

ショウタイムで今、東京ガス時代と1999シーズンの東京が見られる。
FantasistaのDVD映像を有料配信する企画で、第一弾はJ1昇格シリーズ。
アマラオの飛行機、奥原のガッツポーズ、加賀美のゴールをうっかり見てしまった私はもう国立で行われている試合を見に行くことはできなかった。
国立で2得点したブラジル人は高い能力を見せたようだが、まだ東京のFWというわけではない。わたしたちのFW、俺たちのFWと言えるような存在になれるかどうか、まだわからない。点を取るだけではフロントの希望を適えるFWと言えるだけだ。ヴェルディ川崎のサテライトで活躍して世界に旅立ったアモローゾはリチェーリのモデルになるのだろうか。
そして11番は阿部だから。まあ、正式に決定してからの話。
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by inadafctokyo | 2005-12-15 16:54 | FC東京

わたしたちと監督

大熊監督が退任するときはもうそういう時期なんだろうなと納得していた。
監督交代だけではなく、前年には新しいスタジアムが出来、練習場も芝があるのかないのかわからないような深川から、きれいな芝のピッチが2面ある小平に移った。クラブハウスの中には監督室もちゃんとある。つまり、もうプロの監督に来てもらっても大丈夫。わたしはそのことに感慨を抱いた。熊さんは身内だから条件が整わない中でも安心して任せられる監督だった。
安心、それはサポーターからしても安心だったのではないか。そう無茶はしない筈。選手起用にしても試合中の交代にしても。
観客が少ないから熊さんの大声の指示は良く聞こえるし、ゴール裏からは選手交代を告げるコールが監督の実際の合図より早め早めに出るし。
“気心知れた感“が安心感を生む。しかし世間的には監督がナニ考えてるか、狙ってるかなんてなかなか知れないのではないだろうか。

緑川崎のファンだった頃(懺悔:ファンクラブ入ってました)、こんなに監督自体が好きなんてことはあり得なかった。面白味がなかったり、怖そうだったり、第一言葉が通じないしね。
東京は変わってる。熊が愛されていることはすぐにわかった。身内感がすごい。今はそういう要素は薄まりつつあるが、99年00年のころときたら、村社会そのものっていう匂いがして、よそものの私はスタンドの隅で小さくなっていた。
そういう都会でありながらローカルな雰囲気が新鮮に思え、ちょっとずつしきたりを覚え、言葉を覚え、仲間に入れてもらったと思う。

大熊さんから原さんに変わるとき、だからもうそんな身内意識は監督に対して持つことはないのではないかという思いはあった。ところが最初のインタビュー記事を読むとこれまでの東京というチームの歴史に対する理解、東京のサポーターに対する配慮が行き届いた内容でほっとした。それからのことはみなさんもよくご存知。東京のサポーター気質と原さんの人柄がこれほど合うとは誰も予測していなかったのではないだろうか。フロントはそこまで読んだだろうか。
大熊監督7?8?年(わたしはそのうち3年)、原監督4年、わたしたちは監督との関係においてはずっと安心して過ごすことができた。それは得がたい体験で幸福だったと思う。でも次に進むときがきた。
もうそろそろ次のステップに進むために交代する、その判断は正しいと思う。もちろんそう言っても失敗はあるかもしれない。どんなに慎重に選考しても結局はやってみなくちゃわからない。でも大丈夫、やることは同じサッカーだもの。たまに間抜けなことをしでかすけれど、うちのフロントが選んだ監督ならきっと大丈夫(と言っておこう)。ダメだったらブーイングでも白いハンカチでもなんでもやろう。
もしかしたら監督との関係は緊迫したものになるかもしれないが、それもいい経験。わたしたちはまだまだ発展途上なのだから。
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by inadafctokyo | 2005-12-13 13:43 | FC東京