カテゴリ:本( 5 )

水色の少女まんが館で

五日市線の武蔵増子に降り立ったのは初めてだった。駅前の通りを下ってしばらく歩き、橋の手前で右に曲がり、水嵩の増した秋川渓谷にかかった古い橋を渡り、木々で薄暗くなった坂道を登り続けると汗がじんわりと全身を包む。登り切る手前で右に折れ、道なりに進むと小さな畑になる。その隣に水色の建物がある。昔の学校か郵便局のような建物だ。
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玄関の前の小さなテントでは小学生の娘さんが遊んでいた。
古色蒼然といった風を装う少女まんが館であるが、実は3年前に建ったばかり。1997年に日の出町で産声をあげたまんが館はこの地に新しい居を構えた。
建築家のアイディアで建ててから塗るのではなく、部材のうちに塗ってしまった。だから塗る人それぞれによって色が微妙に異なり、それがかえって年月を経たような美しさを感じさせる。
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天井を撮ってみたら、館長さん1(もしかしたら2かもしれない)が写っていた。

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内部はこんな様子だ。古本屋さんの匂い。
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まだまだ整理しきれない本があるらしい。
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窓辺で階段の踊場で屋根裏で物干し場で、自分の部屋というものを持たなかった少女はどこにでも座り込んで、本を手に何時間でも過ごしただろう。

(*長いのでたたみます)

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by inadafctokyo | 2012-07-19 16:04 |

この世界の片隅に

8月15日が終戦の日となった理由はあるわけですが、多くの人が休みに入っているこの時期だということにやはり意味はあるように思います。

こうの史代さんの「この世界の片隅に」を読みました。
浦野すずという昭和の激動をそのまま経験したような女性の半生を描く物語です。
少し粗忽なところがあるが気立ての良いすずは広島の海苔漁師の長女として生まれ育ち、両親や兄妹、親戚、近隣の人々の中で穏やかに成長していきました。
不思議な縁で呉の北條周作のもとへ嫁ぎ、夫とその家族-父、足の悪い母、気の強い姉とその娘、そして隣組の人たちに囲まれながら、変わらずに少し粗忽だけれど、よく働き従順とも言えるあの当時の女性を体現しているかのようです。
嫁ぎ先の家族を義理の・・と言います。それは日本の女性の生き方に大きく影響してきた考え方でもあります。とはいえ、すずは嫁ぎ先の家族ともうまく折り合っていきます。

やがて戦況は逼迫し軍港のある呉は度々空襲を受け、すずの実家のある広島には原爆が落とされます。
どんなことがあっても被害は軽微であるとしか発表しない大本営、「流言や不安のたねになるようなことは例え見たとしても言わんこと」という注意事項など、戦時下の日本が今は近く感じられます。

小さいエピソードの積み重ねの中で流れに逆らわずに生きてきたようだったすずが、さまざまなことに気づき、そして周作とすずは夫婦としての絆を強くしていきます。
遊郭の女りんとも不思議な縁を結び、心を通わせます。すずは小さな縁を見過ごしにできない人です。

呉に大きな空襲があった日に、義理の姉の幼い娘、晴美とともに絵の得意だったすずの右手は失われてしまいます。
実家の父も母も兄も淡い初恋の相手も失い、終戦を迎えたすずは「うちはこんなん納得できん」と言います。
「暴力で従えとったという事か、じゃけえ、暴力に屈するいう事かね。それがこの国の正体かね」そう言ってすずは泣きます。
正義が飛び去った国で、その後も家族を家を守るために必死で生きたに違いないすずさんは今の日本を見てなんと言うでしょう。

広島で孤児となった幼女を呉へ連れ帰ったすずと周作を家族も呆れながら、あたたかく迎えます。
誰かのために手を差し伸べることで私たちは前へ進めるし、目の前の一人を救うことでしか世界は癒せない、そんなことを考えた結末でした。

決して中心ではなく片隅で、普通にまっとうに生きていくこと、いつどんな時代でも。
大した力を持たない私たちにできる大きなことです。
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by inadafctokyo | 2011-08-16 10:35 |

瀬川康男さん

瀬川康男さんが亡くなられた。日本の保育園に瀬川さんの絵本がないところはないと思う。そして小さいお子さんを育てたことのある親御さんで瀬川さんの絵本にお世話にならなかった人もいないだろう。

松谷みよ子さんとのコンビで産み出した赤ちゃん向けの絵本
いない いない ばあ
もう ねんね
いい おかお
あなたは だあれ

瀬川さんの描くネコやくまのぬいぐるみは大きな目でしっかりと赤ちゃんを見つめる。
松谷みよ子さんはやさしいことばで語りかける。

文字の読めない小さい人、まだ赤ん坊という時期に絵本を与えるという考えが充分に浸透していなかった時代に、圧倒的に支持されたのがこの赤ちゃんの絵本シリーズだった。
どこの保育園でもページがばらばらになりそうなほど繰り返し繰り返し保育者がこどもたちに読み聞かせた。
わたしは今でも覚えている、赤ちゃんの目を見張った笑顔、驚くような口の動き、発せられる歓声。
これらの絵本が初めて世に出てから既に40年以上が経ち、「いない いない ばあ」だけでも400万部が発行された。

瀬川さんは若い頃に大病をして、生きることの難しさも代えがたさもよく実感していらした。日本昔話に見られるような美しい色彩、自在で生き生きした線、常に大らかなユーモアが大人もこどもの心も捉えた。一方絵本平家物語のように深いところに響くような絵も発表した。

これからも小さい人たちにずっと長く愛され続けるでしょう。
ご冥福をお祈りします。

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by inadafctokyo | 2010-02-20 15:15 |

コミック3点-第1夜

c0068891_225710.jpg大江健三郎さんの「読む人間」を池袋のジュンク堂に買いに行ったときに、ひらめきで”ついで買い”したのが「カボチャの冒険」
まあ、猫好きは猫の絵さえ見つければ他愛なく手にとってしまうものだが。
五十嵐大介さんという人の作品。五十嵐さんの実生活に沿っているようだ。
東北の農村で田畑を耕し、漫画を描き、カボチャという猫と暮らす日常をのびのびと描いた。
ねこの表情が秀逸。姿かたちがたたずまいが猫そのもの。猫を描いてネコそのものになっている。
当たり前のようだが、そうではない。ためしに描いてご覧。むずかしいぞぉー。
しなやかでいて強靭、滑らかな手触りと頭のこつこつした固さ。耳も目も鼻も口も四肢もそして尻尾も、この世にこれほど完璧な生き物はいない。

カボチャの行動に、猫を飼ったことのある人ならいちいち頷くに違いない。
そしてまた五十嵐さんの振り回されぶりにもいちいち納得がいくであろう。
ヒトはネコには適わないのである。

不味いものを食べたときの猫の顔が、実によく描けているから見なさい。
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by inadafctokyo | 2007-09-26 22:24 |

王ジャパン、野球世界一への道

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わたしがこの本を読んでいると83歳になる母親が読み終わったら貸して欲しいと言うので驚いた。野球に興味のある人ではない。わたしの影響でサッカーには多少の知識はあるものの、実際にテレビでゲームを見るのはワールドカップくらい。その母が実はWBCを見ていたと知った。
「イチローさんは偉い」
そうかイチローか。この本の中にもイチローがいかに爺殺しであるかのエピソードがあるが、婆殺しでもあったのだ。
日本対韓国の準決勝の視聴率は瞬間で50%を超えた。その中にはほとんど野球を見たことのない母のような人たちが多くいたに違いない。国と国との戦いにはそのひとつのスポーツの枠を超えて人を惹きつけるものがある。やっぱりやってみて良かったじゃないか。

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by inadafctokyo | 2007-06-02 11:01 |