カテゴリ:大江健三郎( 17 )

さようなら原発5万人集会

明治公園は人がぎっしりと詰まっていた。もし定員というものがあればとっくにオーバーしている。
日本青年館前もたくさんの人で溢れかえり、公園内に入りきれない人は公園の外周を埋め尽くしていた。どんなに警察が少なく発表したくても、5万の人が集結していたのは間違いない。それが主催者が発表するように6万だったとしても決しておかしくはない。ゼロ歳の赤ん坊から戦争をくぐり抜けた人まで、あらゆる年齢層、生活圏の人々をそこで見ることができた。
気持のある人々がすべて集まれたわけではない、集まった一人ひとりのその後ろにはさらに多くの人がいる。
私も非力は承知で福島の仲間の思いをたくさん背負って出かけたつもりだった。
c0068891_1133385.jpg
日が照ったり陰ったり。日差しがきつく風もあまりないので、1時間ちょっとの集会の間も水とうちわが欠かせない。
c0068891_1134157.jpg
エリアはA,B,Cと分かれ、個人参加、市民団体、組合関係と入り乱れて花畑のようだ。あくまでも私の印象だが、普通の大きな集会と違って、大手組合がでかい顔をしていない。
c0068891_11352270.jpg
制服向上委員会のみなさん、「ダッダッ脱原発のうた」を披露した後、会場内でステッカーを配っていた。
c0068891_12434625.jpg
舞台に近いところには福島から参加した500名ほどの人たちが。
遠くから臨む大江さん。

原発の電気エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もいられます。それは嘘であります。原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います。

今まさにはっきりしていることは、イタリアではもう決して人間の命が原発によって脅かされることはない。しかし、私らは、私ら日本人は、これから更に原発の事故を恐れなければならないということです。
 私等はそれに抵抗するということを、その意思を持っているということを、先のように創造力を持たない政党の幹部とか、また経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。

最後に大江さんは私たちに向けて”しっかりやりましょう”と呼びかけられた。
私は心の中で大きな声と決意をもって、はい!と答えた。


集会では福島の武藤類子さんの発言もあった。
3.11以後の大混乱の中で張り巡らされた安全キャンペーンと不安のはざまで、悩み悲しみ、半年たって彼女らがわかったと言うのは・・

・真実は隠されるのだ
・国は国民を守らないのだ
・事故はいまだに終わらないのだ
・福島県民は核の実験材料にされるのだ
・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ
・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ
・私たちは棄てられたのだ

私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。

私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。


会場の後ろに位置していたために、よく聞き取れないところが多く、発言のすべて及びほかの発言者については他の資料をご参照されたい。
c0068891_13225567.jpg
14時過ぎからデモの出発に備えてエリアごとに並び始めたが、一帯は人が増え続けるものの、少しも前には進まない。Aは渋谷方向、Bは原宿、Cは新宿方面へと分散して出て行くことになっているが、あまりにも人が多くいつまで経っても公園内の人数は減らないような気がする。
c0068891_13381525.jpg
気分が悪くなる人もいるのではないかと心配になる。
c0068891_13395562.jpg
ガス室に送り込まれる人の列・・なんてことを連想し出した3時過ぎにようやく出発となった。
c0068891_13415185.jpg
出発し出したとは言ってもラグビー場から青山高校あたりまではノロノロ前進。
c0068891_13431869.jpg
よくわからないと思うが、骨組みだけになった福1原発を段ボールで再現してかぶって歩く人。力作だ。
c0068891_13445541.jpg
あなたがいたら・・
c0068891_1346263.jpg
この日の発言者、山本太郎さん。ご自分がゴールした後は沿道で後からくるデモ隊に拍手を送っていらした。発言された落合恵子さんや大江さんたちは最初に出るので、早く到着して、最後の方に近い私たちとはだいぶ時間差がある。それでも大江さんと一緒に歩いたという思いは私の誇りだ。
大江さんはタクシーからデモの人に向けてメッセージボードを掲げてくださった。
c0068891_13494297.jpg
私たち渋谷隊は電力館の前を通る。シュプレヒコールにも力が入る。
暗くなりつつある代々木公園にNHK側から入って解散。
公園の売店のビールとたこ焼きで乾杯をした。

最後にもう一度、武藤類子さんの発言を。

私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。そして、つながること。

これから、ここから!
[PR]
by inadafctokyo | 2011-09-21 13:57 | 大江健三郎

さようなら原発

9月8日に日本青年館で「さようなら原発」講演会が行われました。
東京電力福島第一原発の事故を受けて、危機感を持った内橋克人さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、鎌田慧さん、坂本龍一さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さん、辻井喬さん、鶴見俊輔さんが脱原発を求める国会請願署名、そして19日の5万人集会を呼びかけました。
19日の集会では落ち着いてしっかりと話せないからと8日の講演会が準備されたのです。

全てを紹介することはできませんが、一部の発言を紹介したいと思います。、

大江健三郎さん
深い悲しみをたたえながらも絶望せず、前向きになろうとしている。大江さんは昔からずっとぶれていない。


家庭に事情があって、夜遅くは外出できないので、早い時間にしてもらった。
3.11の大震災以後テレビの前に座っていた。
NHKの現地を訪ねる番組で計画的避難区域の男性、自分の家の馬が出産をしようとしている。だから避難できない。草原を駆けさせてやりたいが、放射性物質が降っているので出来ない。
それは明るい昼間のことであったが、私には放射性物質の降る暗い夜の風景のように思えた。

起こってしまったことは、私の戦後の人生が終わってしまったことだった。
戦争が終わって民主主義になった。私は先生に、本当に軍備を持たないでやっていけるのだろうかと質問した。先生は「憲法には”決意した”と書いてある。戦争がなくなるとは書いていない。」

アメリカから再軍備の要請があったときにも日本人は憲法を変えなかった。憲法を作るときの自分たちを取り囲んでいた現実を覚えているから変えなかったのではないか。

福島原発は広島・長崎の規模を超えて大量の放射性物質を撒き散らした。敗戦直後に苦しい中にも新しい時代を指し示していたその時代は終わってしまったのではないか。

ノーベル賞をもらった時に、それに合わせて文化勲章はどうですかと文部省から問い合わせがあった。
戦後、全ての勲章が廃止された。それには意味があった。だから私はお断りした。
すると右翼の街宣車が、家の前でマイクで騒いだ。息子の光は音に敏感で非常に苦しがった。
神介さんが人に頼んだことを私の家内は自分でやろうとして、右翼の責任者に交渉に行ったが、残念ながら右翼は夕方までずっと大きな音で騒いだ。

世界9月号には「放射線との共存社会を前向きに生きる」という自信も被爆者で被爆医療に取り組んできた医師肥田俊太郎さんの提言が掲載されている。
そういう被害を受けてしまったなら、腹を決めなさい。その上で個人の免疫力を強める。衰えさせるような生活をしてはならない。そして何より放射線を出す元を断つことが重要。

ピアニストのチェ ソンエさんのピアノ演奏とおはなし
心から悼んでいる悲しんでいる憤っている表情と演奏が印象に残りました。


もう二度と戻れないかもしれないと思って、自分の家をあとにする人を理解できるでしょうか。
私は若い頃指紋押捺を拒否したために、出国したら二度と日本に戻れないかもしれないと言われ、留学を躊躇いました。2年間悩んだが、あなたが帰ってこられないわけがないという知人の言葉に勇気を貰い、留学しました。再入国はできましたが、永住権を奪われました。一人ひとりはいい人だが、国ということになると無情で過酷です。パブロ・カザルスは音楽よりは一人のこどもの命が大事だと言って、チェロをやめてしまいました。
・・・カザルスはスペインのチェリスト、指揮者。平和運動家としても有名。スペイン内戦時にフランスへ亡命したが、フランコ政権に抗議して一時演奏活動を休止した。
またチェさんは専門家については、このような比喩で表現しました。

演奏会で時に迷惑な音を立てる人がいます。レジ袋から何かを取り出そうとして、音を立てているのですが、それが周囲にも私にも聞こえている。音楽を聞きに来ているはずの場所で雑音を出すことに無神経な人というのは、不思議な気がしますが、それが専門家の姿ではないでしょうか。自分の目的だけに集中して、周りが見えない人です。


山田洋次監督
は「原子力の平和利用」という言葉を鵜呑みにしたことの悔しさとそれによって起こったことへの悲しみを語られました。

落合恵子さんは、いつも毅然としたかっこいい女性です。テレビの女子アナウンサーの窮屈さ空虚さを嫌い、ラジオに仕事の場を求めました。深夜放送で絶大な人気を誇り、女性やこどものための活動に力を入れ、原宿にクレヨン・ハウスを開きます。
この日は前半に詩の朗読、後半に講演でした。話すことの専門家であるとの印象を更に深めました。強い決意に心打たれました。

原発と核兵器は双頭の鷲のようなもの。原発があるということは潜在的な核保有国であるということと同じです。
1954年第5福竜丸事件、1979年スリーマイル、1986年チェルノブイリと大きな事故がありました。その都度、運動を起こしてきたのに、いつの間にか緩んでいた。自分の意識が緩んでいたのです。
アメリカのネイティブの人たちは、何か決めるときは7世代先のこどものことを考えて決めると言っている。私たちは今、ここに生きているこどもを追い詰めているのです。

私は権力と対峙してきました。でも、いま、権力が欲しいのです。福島のこどもたちを安全な場所に避難させることができる権力が。
いろいろな専門家の言葉がありました。私はもう信じない。今のこの状況を招いたのはその専門家です。私のヘアスタイルをどうして、そのような髪なのですか?と聞かれます。私の髪は怒髪天なのです。
人に頑張ってと言わない。一人だけに頑張らせない。あなたが、あなたも頑張ってください。


落合さんが自分へ向けて言った「いつの間にか緩んでいた」という言葉が私にとっても非常に痛いものなのです。
今、行動に移さなければ、今、疑問を疑問として懸念を懸念として表明しなければ、また大きな悔恨を味わうことになるでしょう。一番大きな影響を受けるのはこどもたち、若い人たちです。
福島で幼いこどもを抱えて不安に怯える親と私たちは繋がっています。
もうここで農業は出来ないと絶望して自ら命を絶った男性の息子さんは、田んぼを諦めずに稲を作っています。彼も私たちと繋がっています。

今日、9月19日 千駄ヶ谷の明治公園で「さようなら原発」5万人集会が行われます。
13:00から KOTOBUKI のライブ
13:30~集会 発言は大江健三郎、落合恵子、内橋克人、鎌田慧、澤地久枝、山本太郎、武藤類子
14:25~パレード(出発ライブ:ランキン・タクシー ナラカズヲ)

希望を持って歩きたい。
[PR]
by inadafctokyo | 2011-09-19 02:16 | 大江健三郎

第4回大江健三郎賞公開対談にて

講談社のホールで大江健三郎賞第4回を記念した恒例の受賞者と大江さんとの対談が行われました。
私は大江健三郎ファンクラブの仲間たちと参加しました。講談社の建物は昭和初期の趣のある建物です。仲間が早めに並んでいてくれたのですが、この日は関係者席に席を取ることに。

第4回の受賞作は中村文則さんの「掏摸」です。天才スリ師を描いた作品です。
中村文則さんは2005年に「土の中のこども」で芥川賞を受賞しています。早くから作家になることを志し、大学を卒業後フリーター生活をしながら作品を作り上げることに力を尽くしたということです。

対談と言いながら、その内容は大江さんがご自分の好きな作家を引き合いに出しながら、自分がこれまでの作品で書きたかったことや、中村さんの作品を解説するというもの。9割方は大江さんの講演になっていました。
いつもそんなことはないので、中村さんという方があまりお話されることが得意ではないのかもしれません。

また、この日はとてもご機嫌が良く、終始にこにこして時々足を伸ばしたり動かしたり、自由な感じが溢れている大江さんなのです。

好き勝手に話し続けて、あれ、これはどこに話が行ってしまうのかと心配していると、いつの間にか中村さんの小説に繋がってなるほどと思ったり、前置きながっと思ったり。

音声の調整がうまく行っていなくて、お二人とも話が聞き取りづらく途中眠くなってしまったりする中でも、面白そうと思ったところでは目が覚めるのです。

人間と動物の違いは理性と言葉。でもそれだけでは観念的になってしまう。手を使うことによって実際的になる。観念的にならないために手がどれだけ重要か。
「掏摸」は手をどのように使うかを描くだけで文学になっている。
また重要な役割でこどもが登場している。こどもは非常に大事なもの。

中村さんが「水死」について、これまでと文体が違う、静かな文体だったと指摘すると、大江さんは”最初からこの文体で書こうということは決めない。何度も書き直していく中でできていく。
三島由紀夫のように書き出しから最後が決まっているというようなことでは、楽しみがないでしょう。”と答えていました。

対談が終了後は関係者で打ち上げパーティが行われました。
c0068891_2159459.jpg
大江さんと中村さんに花束を贈呈してから、お話をして写真を撮らせていただきました。

最近の大江さんや光さんの体調について伺ったり、ファンクラブ通信の座談会で語られていたことについて楽しくお話をしました。語りつくせないほどだったのですが、いつまでも大江さんを独占しているわけにはいきません。適当にタイミングを見計らって失礼しました。

私たちがお送りした通信を大江さんとかおりさんが楽しんでくださったとわかって、次の通信を作るモチベーションになりました。


次の作品も用意されていると伺いました。お元気でまた新しい小説でわたしたちを楽しませてくださることを願っています。

中村さんについて大して触れられませんでした。「掏摸」についてはまた今度。(また今度と言ってもなかなか実現しませんよね・・・)
[PR]
by inadafctokyo | 2010-05-17 22:18 | 大江健三郎

ファンクラブ通信

とはいってもFC東京ではなく、大江FC・・・大江健三郎ファンクラブの通信のこと。

今年の1月に大江健三郎ファンクラブ通信の第1号を有志で作りました。
大江さんの作家生活50周年を記念して、いつもわれわれを作品や発言を通して励ましてくださる大江さんを逆に励ますことができればと、身に余る願いを抱いて、みなの力をあわせて。

c0068891_23201712.jpg出来上がった通信は印刷して綴じて、きれいに包装して、サイン会の会場で手渡すことができました。

先日、「トーキング ウィズ 松尾堂」というNHKFMの番組内で、この通信について大江さんが触れました。

ファンクラブの人たちから「水死」特集号の冊子をいただいた。
その中で女性の登場人物が魅力的に描かれていると評価されている一方、大江健三郎は実際の生活では女性に甘えているという辛口の批評もあった。が、自分は女性に甘ったれるような甘美な機会を与えられたことがない(笑)。母も自分の前では厳しい人だったし、妻もあの伊丹十三さんの妹で、とてもコワい(笑。しかし、そうした魅力的な女性たちに支えられて今の自分がいることはしみじみ感じている。


というようなことを話されたのですが、実際のところは水死特集号ではなかったのですが・・。
多分表紙に使用した写真には出版されたばかりの「水死」が写っていたので、印象が強かったのでしょう。
座談会でも水死に触れましたし。
「女性に甘ったれているという辛口の批評」というのは、どちらかというと好意的なものであったのです。

大江さんは実生活上で役に立つような人ではないかもしれないが、どちらかというと困ったところもあるかもしれないが、あれだけの才能の持ち主ならそれでいい。才能に惚れて一緒になるっていうことは十分あり得る、という女性たちの意見に、男性たちはそんなことがあるのか?と懐疑的だったのです。

いや、ありますって絶対。

おかあさんが厳しい人だったことも奥様がなかなかの人物であることも理解しています。それでも大江さんの周囲の女性たちは厳しくとも理解ある態度で接してきたのではないでしょうか。
大江さんは幸せですよ。わたしたちだっておりますしね(笑)
[PR]
by inadafctokyo | 2010-03-30 23:48 | 大江健三郎

ここは大江ブログでもあるのだ

なんかパパさんっぽくなってきた。
かつて一度も子育てブログであったためしはないが。

紀伊国屋ホールで大江健三郎さんの新作「﨟たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ」を記念しての講演会、そしてサイン会。
今日は大江ファンクラブのみなさんとご一緒した。
講演会については後日に譲るけれど、サイン会ではファンクラブとして、50周年記念ファンレターを差し上げた旨アピールしようと思っていたのだが、名前を見た時点で大江さんが気付いて、しかもそのことで機嫌よくなったのは明らかだった。

一言二言お話もできたし、今日は本当に良かった!
c0068891_13131363.jpg

[PR]
by inadafctokyo | 2007-12-11 00:50 | 大江健三郎

荻窪駅南口の古書店にて

c0068891_21233758.jpg

荻窪の古書店に暇つぶしに立ち寄り、安藤始著「大江健三郎の文学」を発見して購入する。
良い古書店で、暇つぶし以上の収穫だった。
哲学、思想に見る目があるようだ。映画、絵画にも面白いものがある。
私だったらどのような本を並べるだろうかとゾクゾクしながら、背表紙を見る。
久しぶりに新刊書店よりも楽しい古書店を見た。
シモーヌ・ヴェイユの評伝は持ち合わせが足らず、諦めた。次に寄る時にあるだろうか。
[PR]
by inadafctokyo | 2007-10-11 21:23 | 大江健三郎

全身運動としての読書

c0068891_2058112.jpg

「読む人間 大江健三郎 読書講義」
“ 本を再読する、読み直すことは、全身運動になる。”大江さんがこの講義で掲げた標語だ。標語としては出来がいいとは言えないが、大江さんが長年続けてきた読書の流儀であり、その作品にも影響が色濃く現れている。
ひとつの作品を何度も読み直す、方向を定めて探求する。最初に読んだ時はただ闇雲に森を歩くようだったものが、2度目、3度目には樹木の一つ一つが目に入り、風に起こる葉擦れの音、鳥の声に気付く。そのような読書を私が知らず知らず習慣にしたのは、大江さんの影響だろうか。

翻訳の本の場合を例にとって大江さんは全身運動としての読書を案内している。
翻訳の本を読んで、本当にいいと思うところ、またよくわからないところがあったら、原書にあたる。辞書を辛抱強く引きながら。そうして一冊の本と一人の作家と向き合う。
そのような大人向けの読書に相応しいものとして、エドワード・サイードの著書をあげているが、私にはとても歯が立たないことは明白だ。このレベルの英語が無理だ。

うんと若い人のために「トムは真夜中の庭で」という少年少女小説を薦めている。これなら読んだことがあるし、英語の文章を見ただけでイヤになることもないのではないか。
何より、今の私にはそうした読書での全身運動が必要とされている。ある種の危機を乗り越えるために。

それにしても荻窪のドトールはタバコの匂いが充満している。入り口そばの禁煙席に何の意味もない。
[PR]
by inadafctokyo | 2007-09-13 20:58 | 大江健三郎

新しい人よ眼ざめよ

大江健三郎の「新しい人よ眼ざめよ」は昭和58年6月に刊行されている。
大きな思い出としては“鎖につながれたる魂をして”に背中を押されるようにして、仕事を辞めてしまったことだ。

《粉碾き臼を廻している奴隷をして、野原に走りいでしめよ。/空を見上げしめ、輝かしい大気のなか笑い声をあげしめよ。/暗闇と嘆きのうちに閉じ込められ、三十年の疲れにみちた日々、/その顔には一瞬の微笑をも見ることのなかった、鎖につながれたる魂をして、立ち上がらしめよ、まなざしをあげしめよ。》

その頃のわたしは自分自身を何かの奴隷と感じ、鎖から解き放たれたかった。私と同様に鎖につながれた魂を解放するべく悪戦苦闘の日々がそれから続いたが、失うものの方が大きかった年月だったかもしれない。しかし、後悔はしていない。安定を求めなかった、というよりそれを恐れていた若い自分を今でも励ましてやりたい。

わたしは大江さんの私生活には関心がない。この小説にも登場する障害のある青年、その弟妹、そして母親は大江さんの実際の家族に似ているだろう。頭部に欠損をもって生まれた大江さんの長男である光さんとの共生が大江さんの人生のテーマとなり、作品に大きな光と影を投げかけているのは間違いない。それでもなお、小説は小説として受け止めたい。

こういう場面がある。
沖縄の施政権返還運動の活動家であるFさんが主人公の作家の家に訪れた。簡単な夜食の席で、作家の妻が「自分ら障害児の親はこの子より一日でも永く生きて面倒を見ることができたらと、家庭でもPTAの集まりでも、基本的にはそう考えています」と話す。それに対して、Fさんはこう言うのだ。
「奥さん、そのような考え方は、だめですよ。敗北主義ですから、だめですよ」
「この憲法パンフを胸ポケットに入れさせて置いてですね、困ったことがあれば、障害児がハイといってこれを出す。それだけで、すべて解決。そういう社会をですね、実現しなければ、だめですよ。」

この部分を読んだときに、その頃の私がどれだけこのことばに励まされたか思い出した。
あれから何十年と年を重ね、そのような社会は実現できていない。どころか悪くなっているのではないだろうか。

苦境に陥った人が憲法によって救われる、憲法に書かれたことば、込められた思想によって、人間としての尊厳を取り戻す、また逆に人間として自らの行いを恥じる、改める。
変えることより寧ろ社会の隅々にまで浸透させるべき時が今であると思う。

全ての苦しんでいるこどもたち、虐げられている人たちの胸ポケットにこれが必要なんだ。


※今日のエントリはestertokyoさんに捧げられるものです。
[PR]
by inadafctokyo | 2007-05-18 11:49 | 大江健三郎

8.6 ヒロシマ

新宿・紀伊国屋ホールで8月6日から20日まで「紙屋町さくらホテル」が上演される。
昭和20年原爆投下直前の広島に移動演劇隊「さくら隊」がやってくる。

名優丸山定夫と宝塚出身の大スター、園井恵子を擁するさくら隊9人の運命は江津萩枝のルポルタージュ『櫻隊全滅』に詳しい。新藤兼人監督が「さくら隊散る」という映画にもしている。

この芝居の作者である井上ひさしさんはその悲惨な事実を悲惨なまま伝えるのではない。丸山定夫と園井恵子は残し、そこに旅館の女主人、特高の刑事、大学教授、天皇の密使、陸軍中将などの素人を加え、芝居を作り上げようとする。
芝居というものに全てを捧げていた丸山と園井、二人と共に舞台を作り上げる過程で芝居の本質に触れていく素人の彼ら。
“芝居は何をできるか“を井上さんが真摯に問うた答えになっている。

「わたしたちが今生きている時代で一番重要な問題は何か、それはよく見えない。でも歴史になると見える。それを同時代のうちに、これじゃないかと問いかけるのが小説であり、音楽であり、映画であり、芝居だと思っています。」井上さんの言葉だ。

大江健三郎さんの小説もそういうものであると思う。
同い年の井上さんと大江さんはお互いを理解しあう関係だ。
大江さんは、この「紙屋町さくらホテル」に対してこう言っている。
「舞台の一つ奥の明るい食堂みたいなところに、原爆で死んでしまった人たちが宝塚の歌を歌ったりして、夢のような懐かしい時間を過ごしている。それが芝居を見ていて一番濃密な時間として、目の前に迫ってくる。そうした終わり方がありました。こういうところにも、井上さんと僕は同じものを捜し求めているという気持を持っています。」

今回の演出ではどうだろう。
「紙屋町さくらホテル」
[PR]
by inadafctokyo | 2006-08-05 11:47 | 大江健三郎

さようなら、わたしの本よ

c0068891_17121639.jpgああ、どきどきする。
ようこそ、わたしの本よ。
序章から懐かしさに頭の中が”大江ワールド”に引きずり込まれて、混んだ電車の中であたふたする。
できるなら、どこへも行かずに閉じこもって没頭したい。

 もうひとりの自分が、繁と再会すれば起こるにちがいない風変わりなことを待ち受ける風であったのを、後になって古義人は思い出した。

この1節を読んで、この先に”起こるにちがいない”ことを予想して、どきどきは募る。
[PR]
by inadafctokyo | 2005-10-07 17:15 | 大江健三郎