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残念な事件

ガンバ大阪のサポーターの行為は(伝えられていることが真実だとしたら)卑劣と言わざる得ない。
友だち同士であったなら楽しい行為だとしても、相手との間に了解のない状態で水風船を投げることがいいことかどうかわかっていたはずだ。それを制止するものもいなかったとしたら(実際止める事はできていなかったわけで)、ガンバのサポーターは一人一人が猛省してほしい。みんながそれぞれ自分に対して1試合を観戦禁止にするくらいはしていい。

ただ、そうしようとした心の動きとしてはわたしにも理解できる。大きな敵としての浦和のサポーターの存在は闘争心をかきたてられるかっこうの火種のようなもの。であっても、真っ赤な固まりなどではなく、一人ずつはそれぞれ別個の肉体と精神をもちあわせた年齢性別さまざまな個人であることを、どんなときも忘れてはならない。

カッコつきの「浦和のサポーター」の悪しきイメージは、全国津々浦々に出没する彼らが自ら作り出したものだ。さまざまなカラーのサポーターが持つそのイメージを繋ぎ合わせると、とんでもない怪物が出来上がるということが、今回の事件の反応を見ていて分かった。

浦和の人たちもガンバを責めるだけでなく、自分たちの”像”を真剣に見てみたらどうかと思う。

ガンバの選手たちは、嬉しさのあまりアウェイでありながら勝利の儀式を繰り広げた。
それくらいレッズに勝つことが大きなことだったということだろう。配慮が足りなかったと言えるだろうが、ここからも日頃からレッズに(レッズの選手に)どのような思いを抱いていたかを推測してしまうのは、考えすぎだろうか。

注意をしたのが田中マルクスでなかったら、まだましだった可能性はないだろうか。
じゃあ、誰だったら良かったのかはガンバの選手に、或いはうちの選手でもいいけれど、聞いてみないと思いつかない。啓太かな。

とはいえ、どっちにしても(ガンバにしてもレッズにしても)大人げないという言葉に集約されてしまうのではないだろうか。それにしては代償が大きい。

こうしたことが起きる度に、うちの例のあれも引き合いに出されるわけで。いっせんまん。
by inadafctokyo | 2008-05-20 00:53 | サッカー


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