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さようなら原発

9月8日に日本青年館で「さようなら原発」講演会が行われました。
東京電力福島第一原発の事故を受けて、危機感を持った内橋克人さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、鎌田慧さん、坂本龍一さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さん、辻井喬さん、鶴見俊輔さんが脱原発を求める国会請願署名、そして19日の5万人集会を呼びかけました。
19日の集会では落ち着いてしっかりと話せないからと8日の講演会が準備されたのです。

全てを紹介することはできませんが、一部の発言を紹介したいと思います。、

大江健三郎さん
深い悲しみをたたえながらも絶望せず、前向きになろうとしている。大江さんは昔からずっとぶれていない。


家庭に事情があって、夜遅くは外出できないので、早い時間にしてもらった。
3.11の大震災以後テレビの前に座っていた。
NHKの現地を訪ねる番組で計画的避難区域の男性、自分の家の馬が出産をしようとしている。だから避難できない。草原を駆けさせてやりたいが、放射性物質が降っているので出来ない。
それは明るい昼間のことであったが、私には放射性物質の降る暗い夜の風景のように思えた。

起こってしまったことは、私の戦後の人生が終わってしまったことだった。
戦争が終わって民主主義になった。私は先生に、本当に軍備を持たないでやっていけるのだろうかと質問した。先生は「憲法には”決意した”と書いてある。戦争がなくなるとは書いていない。」

アメリカから再軍備の要請があったときにも日本人は憲法を変えなかった。憲法を作るときの自分たちを取り囲んでいた現実を覚えているから変えなかったのではないか。

福島原発は広島・長崎の規模を超えて大量の放射性物質を撒き散らした。敗戦直後に苦しい中にも新しい時代を指し示していたその時代は終わってしまったのではないか。

ノーベル賞をもらった時に、それに合わせて文化勲章はどうですかと文部省から問い合わせがあった。
戦後、全ての勲章が廃止された。それには意味があった。だから私はお断りした。
すると右翼の街宣車が、家の前でマイクで騒いだ。息子の光は音に敏感で非常に苦しがった。
神介さんが人に頼んだことを私の家内は自分でやろうとして、右翼の責任者に交渉に行ったが、残念ながら右翼は夕方までずっと大きな音で騒いだ。

世界9月号には「放射線との共存社会を前向きに生きる」という自信も被爆者で被爆医療に取り組んできた医師肥田俊太郎さんの提言が掲載されている。
そういう被害を受けてしまったなら、腹を決めなさい。その上で個人の免疫力を強める。衰えさせるような生活をしてはならない。そして何より放射線を出す元を断つことが重要。

ピアニストのチェ ソンエさんのピアノ演奏とおはなし
心から悼んでいる悲しんでいる憤っている表情と演奏が印象に残りました。


もう二度と戻れないかもしれないと思って、自分の家をあとにする人を理解できるでしょうか。
私は若い頃指紋押捺を拒否したために、出国したら二度と日本に戻れないかもしれないと言われ、留学を躊躇いました。2年間悩んだが、あなたが帰ってこられないわけがないという知人の言葉に勇気を貰い、留学しました。再入国はできましたが、永住権を奪われました。一人ひとりはいい人だが、国ということになると無情で過酷です。パブロ・カザルスは音楽よりは一人のこどもの命が大事だと言って、チェロをやめてしまいました。
・・・カザルスはスペインのチェリスト、指揮者。平和運動家としても有名。スペイン内戦時にフランスへ亡命したが、フランコ政権に抗議して一時演奏活動を休止した。
またチェさんは専門家については、このような比喩で表現しました。

演奏会で時に迷惑な音を立てる人がいます。レジ袋から何かを取り出そうとして、音を立てているのですが、それが周囲にも私にも聞こえている。音楽を聞きに来ているはずの場所で雑音を出すことに無神経な人というのは、不思議な気がしますが、それが専門家の姿ではないでしょうか。自分の目的だけに集中して、周りが見えない人です。


山田洋次監督
は「原子力の平和利用」という言葉を鵜呑みにしたことの悔しさとそれによって起こったことへの悲しみを語られました。

落合恵子さんは、いつも毅然としたかっこいい女性です。テレビの女子アナウンサーの窮屈さ空虚さを嫌い、ラジオに仕事の場を求めました。深夜放送で絶大な人気を誇り、女性やこどものための活動に力を入れ、原宿にクレヨン・ハウスを開きます。
この日は前半に詩の朗読、後半に講演でした。話すことの専門家であるとの印象を更に深めました。強い決意に心打たれました。

原発と核兵器は双頭の鷲のようなもの。原発があるということは潜在的な核保有国であるということと同じです。
1954年第5福竜丸事件、1979年スリーマイル、1986年チェルノブイリと大きな事故がありました。その都度、運動を起こしてきたのに、いつの間にか緩んでいた。自分の意識が緩んでいたのです。
アメリカのネイティブの人たちは、何か決めるときは7世代先のこどものことを考えて決めると言っている。私たちは今、ここに生きているこどもを追い詰めているのです。

私は権力と対峙してきました。でも、いま、権力が欲しいのです。福島のこどもたちを安全な場所に避難させることができる権力が。
いろいろな専門家の言葉がありました。私はもう信じない。今のこの状況を招いたのはその専門家です。私のヘアスタイルをどうして、そのような髪なのですか?と聞かれます。私の髪は怒髪天なのです。
人に頑張ってと言わない。一人だけに頑張らせない。あなたが、あなたも頑張ってください。


落合さんが自分へ向けて言った「いつの間にか緩んでいた」という言葉が私にとっても非常に痛いものなのです。
今、行動に移さなければ、今、疑問を疑問として懸念を懸念として表明しなければ、また大きな悔恨を味わうことになるでしょう。一番大きな影響を受けるのはこどもたち、若い人たちです。
福島で幼いこどもを抱えて不安に怯える親と私たちは繋がっています。
もうここで農業は出来ないと絶望して自ら命を絶った男性の息子さんは、田んぼを諦めずに稲を作っています。彼も私たちと繋がっています。

今日、9月19日 千駄ヶ谷の明治公園で「さようなら原発」5万人集会が行われます。
13:00から KOTOBUKI のライブ
13:30~集会 発言は大江健三郎、落合恵子、内橋克人、鎌田慧、澤地久枝、山本太郎、武藤類子
14:25~パレード(出発ライブ:ランキン・タクシー ナラカズヲ)

希望を持って歩きたい。
by inadafctokyo | 2011-09-19 02:16 | 大江健三郎


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