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H君へ

私はこれまでに何匹もの猫と暮らしてきて、何度もその死を見届けてきた。
犬や猫を飼うと言うことはその生涯を見守るということだ。
途中で放り出すことは許されない。
だからジャムが23歳で死んだ後はなかなか猫を迎え入れる気にならなかった。
当時既に40半ばに差し掛かった私たち夫婦がまた20年を確実に有るものだと思う程呑気ではいられなかった。

何年か経って小学校の5年になった娘が猫を飼うと言った。いや、本当は学童保育に5年からは預けられなくなる、その放課後が心配だった私が猫に留守番を頼もうと思ったのだ。
娘の帰宅を寂しいものにしたくなかった。
そしてまあ、やって来たのがあの小梅だ。

ジャムもクロもクロの息子のぼっちゃんもちゃんと看取った。それぞれについてはいずれきちんと書き記したい。
家猫だけではない。家によくご飯を食べに(盗みに)来ていた野良猫も例外ではない。
体が弱ってから来てくれると、よくうちに来てくれたと感謝した。猫が何処ともしれず誰にも知られず死んで行くのは私も辛い。
猫のマザーテレサになったつもりなんて大きな事は思わないが、決して楽ではなかった生涯の最期くらい安心して貰いたかった。

死は誰にでも訪れるもの。
生きること、老いること、死ぬこと、大切な事を猫たちから教えて貰った。
だからあなたが一時期を一緒に暮らした犬や猫や生き物が死ぬことを受け入れること。あなたがその成長や可愛さや悪戯や性格を受け入れて愛したように、その死も受け入れること。

そして、またいつか一緒に生きてやがて看取るために犬か猫を迎え入れなさい。
それが今私に言えること。
by inadafctokyo | 2011-03-09 23:58


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