人に良いと書いて食

棚田で起きていたあれこれなど。
農作業やスポーツ、汗をかく時には首にタオルが常道ですね。私はいつもトーマスのタオルマフラーです。大きさがちょうど良い。今年から子供だけになってしまいましたが。
昼の休憩の時に近くにいらしたご夫婦と挨拶をすると調布のお米屋さんでした。わたしのことは「そのマフラーで東京の人だとわかりました」そこからご主人と田んぼの傍でお米ではなく、FC東京の話にのめりこむ羽目に。
みなさんお察しのとおり、現状に首を傾げるご主人、まだまだこれからと力説する私という構図になり、奥様は苦笑いという・・・。

そしてもうひとつのサッカーに関する話としては、先週の日曜には中田ヒデが見学にやってきたというビッグニュースを耳にしました。
雨の中、棚田を見て飯尾醸造の蔵を見学して、的確な質問をたくさんしていったということです。
本当にあっちこっち現れるんですねー。

丹後の棚田で最近の話題と言えば、猪です。この日も田植えを済ませた田んぼの周囲を電気柵を張っている人を見かけました。
年に3,40頭~70頭も罠にかかるということです。米を食べるというよりも田んぼを荒らしてしまうのが困るのです。畦を歩いてくれるといいのですが。

さて、ホテルで一風呂浴びる前に飯尾醸造さんの蔵を5代目見習い中の彰浩さんの案内で見学に。
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歴史を感じさせる店構えです。日曜ですのでお休みのところを特別に。
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おっとこまえの5代目見習いが飯尾さんちのお酢づくりをわかりやすく簡潔に(お風呂入ったら宴会だから)説明してくれました。
飯尾醸造では日本で唯一のお酢屋さんです。お酢の蔵とは別に日本酒の蔵があり、杜氏がいます。そして米は地元で契約栽培をしてもらい、自社田でも米作りをしています。こうしたことが飯尾醸造を日本で唯一のお酢屋にしています。
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500mlのお酢にどれくらい米を使っているのかの比較です。左から一般の米酢、一般の純米酢、飯尾の純米富士酢、プレミアム富士酢となります。これだけ原材料が違いますから、香りもまろやかさもコクも旨みも違うのは当然です。
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お酢になる期間も違います。飯尾さんでは100日もの間、このタンクでじっくり育てます。静置発酵は時間と手間と勘と経験が必要です。一般品は醸造用アルコールを使って短ければ6時間、長くても24時間でお酢になってしまいます。お酢が発酵するときに熱が出るのでムシロをかけています。保温にもなり空気の出入りも出来ます。
タンクの中の酢の上には膜が張っていました。これは酢酸菌の膜で、創業当時から非常に大事にしてきました。発酵させたいタンクにはこの膜を移します。
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日本酒と同じように発酵を止めたら絞ります。これはその舟と呼ばれる道具です。日本酒の造りにも同じように舟を今でも使っているところがあります。
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今の社長(4代目)になってから、お酢のラインアップが増えました。果実酢、飲用に適したお酢の開発にも熱心です。これは奇跡のりんごから作られるお酢のタンクです。非常に時間がかかるそうです。

まだまだお酢について勉強と経験をつまないと語れないと今、つくづく思っています。
さて、ここからは夜の宴会です。ホテルでお風呂に入ってから、宮津の駅近くの店で楽しい楽しい宴会だー。
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鰹と鯵がうまい!丹後は魚がうまーい!
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鯖に味噌と山椒の実とえのきがたっぷり。うーーん。
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なんにも言うことはありません。
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左が奇跡のりんごのジュース。(ナオも感動したという木村さんのりんごだ)味は甘かった・・。すまん、わたしは甘いものが苦手で。右は紅芋酢。地元で採れた紅芋で作ったお酢です。アントシアニンが非常に豊富に含まれ、内臓脂肪が減ることを飯尾社長が検証しました。もちろん個人差がありますし、大匙1杯程度を水で薄めて毎日飲んで、数ヶ月続けてという条件です。NHKで放送されてから、注文が劇的に増えたそうです。現在体脂肪を減らすべく私も挑戦中です。

当主の飯尾毅さんの熱意に溢れたお話もたくさん伺うことができました。
米から作る、日本酒も造る、麹ももろみも全て自分の蔵で造る。そこまでするのは日本一の酢を作りたいから。日本一だから富士酢。小さなお酢屋でいい、良心に恥じないお酢を造り続けたいとぶれずに日々家業に取り組んできた飯尾さんが今、各方面から評価されるのは嬉しいことです。

飯尾さんの使う米は全て無農薬です。
昭和30年代、高度経済成長期を迎え、それまで手間隙がかかりきつい労働だった農作業を軽減しようと機械が導入され、農薬が瞬く間に日本中の田畑で撒かれました。その結果、生き物の宝庫であった日本の里山や田んぼからたくさんの生き物が失われました。フナやドジョウ、田螺、新潟では朱鷺。農薬を撒いた田んぼには立ち入り禁止の旗が立てられました。
そのような時代、昭和37年に先代の当主、飯尾輝之助さんが農薬を使わない米作りを地元の農家に頼んで歩いたのです。
時代の流れに身を任せるのではなく、自らの知恵と経験と仕事を大切にした決断はこれ以上ないほど大きかったと言えましょう。
この一家の生き方に何かを感じて欲しいと思います。
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by inadafctokyo | 2010-06-02 01:33 | 大地を守る会


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